プロフィール

へー

Author:へー
生まれも育ちも愛媛県ですが、大学以降北海道を終の棲家ときめこんでいます。
ついでに小学校教諭を自分の天職と思い込んで子どもたちと過ごしてきました。辞める気はまったくありませんが、2008年3月まで青年海外協力隊員としてドミニカ共和国で活動してきました。暑いところが嫌で北海道に移り住んだはずなのですが、常夏のカリブ海で問題なく適応できた自分が不思議でした。2008年4月からはまた教壇に復帰しています。
協力隊に参加するために駅前留学をしていたのですが、ドミニカ共和国は公用語がスペイン語。せっかく覚えた英語は…。そして派遣中に肝心のNOVAは破綻…。英語もスペイン語も使わないとどんどん忘れさられていきます。悲しいですね。
趣味は読書、スキー、ゴルフ、献血、etc。ドミニカ共和国滞在中はダイビングにはまっていましたが、北海道ではとてもとても…。現在、一番の趣味はダイエットです。

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トクノフミトシ4コマまんが

北海道の小学校で教師をしています。日々の生活の様子などを気ままに綴っていきます。 2006年4月から2008年3月まで青年海外協力隊に参加していました。ドミニカ共和国について知りたい方は過去記事をどうぞ。

離任


いよいよドミニカ共和国を離れる日がきました。10時50分発の便に乗るので、調整員の方とは9時に空港で待ち合わせ。最後にステイ先の家族にあいさつをして空港にむかいました。9時5分ほど前に到着したのですが、どうやらぼくが最後。荷物のセキュリティ・チェックを受けて急いでチェック・インしました。ここで問題になるのが荷物の重量。ニューヨークまではアメリカン・エアラインを利用するのですが、預け入れ荷物は1つ23kgで2個まで。しかし、ぼくは大きいほうのスーツケースが約26kgで、小さいほうが約17kg。厳しい人だと中身をうつしかえて、23kg以下にしなさいということになるのですが、両方合わせて46kgは超えていないのでおおめに見てくれたのか特に何も言われませんでした。後輩隊員がぼくの荷物を見て少ないですねと言っていたのですが、それでもその状態ですからなかなか大変です。案の定同期の1人は見るからに重量オーバーのスーツケースが実際に12kgオーバー。さすがにこれは見逃してもらえないので、一生懸命荷物を分けていました。

見送りにはサンティアゴのJVが7人全員とSVの方が1人、首都から2人、Padre las Casasの同期、Samanaから17−3の先輩隊員、担当調整員の方と専門家の方がきてくださいました。同期の2人や先輩隊員に見送られるというのもなんだか複雑な気分でしたが、首都からの出発ではないにもかかわらずたくさんの人が集まってくれてうれしかったです。それぞれあいさつをしたり手紙をもらったりと別れを惜しみつつ、最後に記念撮影。しかし、この写真撮影が長い。あとでデータを共有すればいいのですが、みんなが自分のカメラで撮りたがるのでひどく時間がかかりました。気持ちはわかるのですが、すでに検査場を通ったほうがいい時刻をけっこうすぎていたので、同じ写真に対してカメラが次々と出てくるのには少々イライラしました。

写真撮影が一段落して出国審査と、手荷物の検査場に行くとすでに長蛇の列。しかも遅々としてすすみません。出国審査もぼくはわりとすんなりいったのですが、他の3人は出国税を払えということを係官から言われ、必要ないということを納得させるのにまた少し時間がかかってしまいました。そんなこんなで登場口に行くと、係の人からどこにいたんだといわれる始末。その状態でも同期の1人は偶然会った知り合いとお話をしていたのですから、腹が据わっています。気持ちは本当に良くわかるのですが…。しかし、まあ何とか定刻までには座席につくことができて(空き席だと思われて別の人が勝手に移動してきていましたが)無事予定通りニューヨークに向けて飛び立つことができました。飛び立つときまで目立つように見送りをしていてくれるということだったのですが、残念ながら座席が空港ビルとは逆側で見ることができませんでした。しかし、そういう準備をして、見送りにまできてくれた仲間たちに本当に感謝です。期間の長短はありましたが、本当にいい仲間たちに巡り会えて、同じ時間を共有できたことを感謝したいと思います。

ニューヨークには定刻どおり14:50頃に到着。ドミニカ人は例によってランディングした瞬間に拍手でした。入国審査に時間がかかるのが一番の心配でしたが、幸運なことに他の便が到着していない時間だったようでスムーズにすすめました。しかし、ここで同期が写真撮影を敢行。これを見た係官がきて写真データの削除を要求しました。アメリカはこのへんのことはデリケートなので気をつけなければいけません。しかも、その係官のブースに並んでいたので、おかげでその後は超不機嫌。ちょっとだけとばっちりをくらってしまいました。それでもまあ予想よりははるかに早く入国できました。

荷物もまあまあいいペースで出てきたので16時頃にはマンハッタンに向けて移動を開始しました。2人は荷物が重いからとタクシー、ぼくはもう1人とせっかくなので地下鉄で移動しました。一緒にいた同期が任国外旅行をすべてアメリカで使っていたので地下鉄などのシステムをよく把握していて、ぼくはついていくだけでよかったので楽でした。1時間ちょっとでホテルの近くのペンシルバニア・ステーションに到着。さすがにタクシーの方が少し早かったですが、ほぼ時間差なしでつけました。



これが宿泊したHotel Newyorker Ramada Innです。地下鉄の出口のすぐ脇に建っていて立地は抜群でした。部屋もけっこうきれいでマンハッタンのホテルとしてはかなりリーズナブルな値段だったので大正解でした。40階建で1000室あるようです。



チェック・インしたあとは夕食を食べに行きました。世界の日本食の食べ比べということでお寿司。日本人の方がやっていて、早い時間から割りと込んでいて人気のお店のようです。ドミニカ共和国のSushi-Yaはあれはあれで好きでしたが、さすがにニューヨークともなると日本と遜色のないような店があるものです。サイド・メニューで頼んだイカ・キムチがおいしかったです。他にもけっこうな数の寿司屋や日本食屋を見かけました。人気がある証拠でしょう。



夕食のあと2人はオペラ座の怪人を観賞するためにブロード・ウェイへ。ぼくは基本的にミュージカルには興味がないのでもう1人とエンパイア・ステート・ビルへ行きました。ただ、今日はあいにくの雨模様だったのでビル自体もけぶっていました。



それでも、一応展望台にのぼってみようかと中に入ったのですが、係の人に行きたかったら行ってもいいけれど、何も見えないよと言われ断念。親切でいいのですが、商売っ気はありません。そのあとはジャズ・バーに行って音楽を楽しみながらいっぱいやりました。ただ、疲れていたのか同期がとても眠そうだったので22時くらいでホテルに帰って寝ました。雨はちょっと冷たかったですが、思ったよりは寒くなかったのでホッと一安心のニューヨークでした。

最後の晩餐


明日いよいよドミニカ共和国を離れるため、今日は朝から荷造り&部屋の掃除。その前に、昨日までの旅で使った洋服を午前中は洗濯。ついでに、シーツや枕カバーなども洗濯して旅立つ準備を整えました。平行して荷造り前に捨てるものをさらに整理。これまでもけっこう捨てたつもりでしたが出てくるものです。ぼくは必要ならわりと平気でどんどん捨てられるので、ここでもかなりごみになるものが出ました。それでも服などの一部はフリー・マーケットをしたいという後輩隊員のためにとっておきました。これらが終わったあたりでちょうど11時近くになったので、鍵を返すために事務所に行きました。

夕食も一緒に食べる予定ではあるのですが、最後に短期の方と一緒に昼食を食べる約束をしていたのでお昼にあわせて行きました。事務所から食事に行くときはドミニカ食かサンドウィッチですが、最後はやはりドミニカ食。白いご飯にアビチュエラ、鶏肉、サラダと典型的なバンデーラで締めくくりました。お昼に行く前には最後に事務所のスタッフと一緒に写真を撮ってもらいました。一番仲良くしていたドミニカ人だったので名残は尽きませんでしたが、今後も連絡はとっていきたいなと思っています。昼食のあとは最後にもう一息お土産の買い出し。行ったスーパーに国旗が売っていなくて買えなかったのだけが心残りです。しかたないので来週帰国する隊員にお願いして買ってきてもらおうと画策中です。

買い物から帰ったあとは荷造りと部屋の掃除。自分で思っていたより荷物が入らなくて、ちょっと焦るところもありましたが、まあ何とかなりました。とはいえ夕食の約束の時刻が近くなっていたので、すべて終わらないうちに短期の方のお宅へ向かいました。短期の方の住んでいるアパートには現在ボランティアが短期の方を含めて3人住んでいるため、隊員寮と称されています。そのうちの1人が帰国する同期なので、追いコンという名目での夕食会に混ぜてもらうことにしました。明日の見送りのためにわざわざ首都からきてくれているボランティアも2人いて、総勢12人での最後の晩餐になりました。

ステイ先の家族に迷惑をかけてもいけないので、最後は屋上に上がって飲んでいました。最後に仲間たちと一緒に過ごせて楽しかったなと思います。とはいえ、帰ってからは最後の荷造り。心配していた荷物も最終的にはすべて収まり何とか無事に帰国の途につけそうです。しかし、ニューヨークで1泊しなければいけないのでスーツケース2個を持って歩くのはけっこう億劫です。サンティアゴで最後の夜ですが、けっこう飲んだのでぐっすり眠れそうです。

誕生会&送別会


Sosuaから18時過ぎに帰ってきて、家へ荷物を置き急いで出かけました。19時から3月が誕生日の同期2人の誕生会と、ぼくたちのサンティアゴでの送別会があったからです。いったん事務所に寄ると、クーラーが取り付けられていてちょっと感動。使う機会はありませんでしたが、プロジェクト・ルームの改修もだいたい見届けることができてよかったです。たまたま同期の1人もきていて、ちょうど店に出かけようとしているところだったので一緒に行きました。歩いて20分くらいで、19時ちょうどくらいに到着できました。

まずは同期2人と18-2の1人も明後日誕生日ということであわせてお祝いをしました。同期2人にはぼくたち18-1からプレゼントがあったのですが、18-2の人にはなくてちょっと申し訳なかったですが、ぼくたちは同期の間でずっとやっていたのでプレゼント贈呈もさせてもらいました。現職教員ではなく、まだ任期の残っている同期のほうには妹に持ってきてもらった最後の白い恋人もプレゼント。みんなに配っていたときに食べてもらう機会がなかったので、チョコレート好きの同期のためにとっておいたやつでした。喜んでもらえたので何よりでした。

そのあとは送別会にうつりました。ぼくたち現職組4人とぼくたちの1週間後に帰国するSVの方の送別会でした。JVは11人で全員、全員ではありませんでしたが他のSVの方も参加されたので総勢15人。盛大な送別会になりました。とはいっても特に何をするということもなく、一言ずつ話をしたくらいであとは歓談。歓送迎会などではいつも利用している店だったので、そこに行くのもおそらく最後。帽子をもらったりサービスしてもらったりといろいろよくしてもらっていたのですが、誕生会と送別会ということで今日はケーキも用意してくれていました。普段はあまり甘いものは食べないので遠慮するところですが、せっかくの気持ちなので今日は少しいただきました。まあ、好きではないのでおいしいとは言えないのですが、気持ちがうれしかったです。

2次会で同期の家へ。帰国されるSVの方が同じ大家さんなのですが、住宅料の支払いのことで、ちょっと意見の相違があったようで通訳が必要になっていました。いつもは同期が対応するのでしょうが、つまみを作ったりと忙しくしていたのでぼくが呼ばれて間に入って話をすることになりました。ぼくの言っていることは通じていたと思うのですが、なかなか意味を理解してもらえなくて、最終的には図も使って説明して何とか納得してもらいました。そのあとはゆっくり飲みながらおしゃべり。1時半くらいまでいましたが、明日もそれぞれ予定があるのでそこでお開き。楽しい1日でした。

さて、調子の悪かったパソコンですが、ついにACアダプターからの電源供給ができなくなってしまいました。原因はACアダプターではなく本体。あと1週間何とかがんばってほしかったのですが、仕方がありません。帰国したら修理に出すつもりですが、帰国直前でいろいろと連絡をとらなければいけないこともあるので事務所から1台パソコンを借りてきました。そんなわけで写真が今パソコンに取り込めなくて、Blogへは写真をアップできない状態になっています。自分のパソコンではないといろいろ不便です。あと、明日から3泊4日でLa RomanaとBayahibeのほうへ行ってきます。帰ってきた翌々日に帰国になるので旅の報告がすぐにできるかはちょっと微妙ですが、気長にお待ちください。

配属先最終報告


いよいよ配属先最終報告になりました。今日で活動も最終日です。まあ、最終報告にあわせて活動を終わらなければいけないというきまりもないので、続ける人はそのあとも続けるのですが、一つの区切りではあるのでぼくは今日で終了することに決めて、今日終われるように仕事の整理をしてきました。



朝はいつもお世話になっているトスターダの店へ。おそらく今朝が最後になるので写真も撮ってきました。安くて美味しいのでとても重宝しました。今日で仕事は終わりということを伝えて、最後にあいさつをしてきました。

だいたいいつもどおりの時刻に事務所に行ってプレゼンテーションの最後の修正と内容のチェックをしました。今回は時間的に全然余裕がなかったので、一応できたといえる状態になったのが結局9時くらいでした。当日まで準備をしているというのはあまり好みではないのですが、まあしかたがないところでした。開始は10時半からということにしていたので、一通りどんなことを話すか自分の中でシュミレーションして、あとは時間まで適当に残務処理などをしながら過ごしていました。

今日はCETTの講習会があったので1・2年生の先生たちはいませんでしたが、3・4年生の先生が校長と副校長に連れられて開始の10分前には到着。ただ、初等教育コーディネーターやTutorたちが他の会議などの関係で1人しか来ることができませんでした。プレゼンの内容の大半が彼らに聞かせるための内容になっていたのでちょっと残念でした。しかし、ほぼ予定通りの時刻に始められたのはすごくよかったです。



発表自体は20〜25分程度だったかなと思います。参加者は少なかったのですが、緊張してしまって言おうと思っていたことのいくつかを落としてしまいました。いつまでたっても人前での発表には慣れません。子どもの前ならわりと平気なのですが、対大人でも平気になりたいです。写真は発表の後に校長が一言話している場面です。最後に先生たちと写真を撮ったりして報告会は終わりになりました。これで公式な活動はすべて終了。肩の荷が下りました。

午後からはGM(教師用指導書)に対する修正意見をスペイン語で書き込む作業をしました。以前からの仕事でしたが、なかなかやる気にならなかったことと、他の締め切りのある仕事に追われていたので遅々としてすすんでいませんでした。しかし、まあ今日で終わりと決めていたこともあり何とか自分の担当していた単元はかたづけることができました。あとはあげた意見を事務所のスタッフや専門家の方がうまく吸い上げてくれることを祈るだけです。

1週間後にはサンティアゴを出発します。その間に最後の旅行にも行こうと思っているので、サンティアゴでの食事も残りわずかです。ということで、どこの料理を食べたいかなと考えて、SUSHI-YAのお寿司も最後に食べておきたいなと思い3人ほどと一緒に食べに行ってきました。ロールが中心で、日本の寿司とは明らかに違いますが、それでもぼくはけっこう好きでした。活動も一応終了させたので、うちあげ的な意味も兼ねて美味しく食べることができました。

さて、残り1週間ですが本格的にパソコンの電源が怪しくなってきました。旅もあってBlogをしばらくアップできないかもしれませんが、その際はご容赦ください。

同期の最終報告


今日は午前中は事務所に行っていました。とはいっても10時半から同期の配属先最終報告会が予定されていたので、事務所にいたのは10時くらいまででした。ぼくは明日ですが、同期3人は今日が最終報告会でした。10時までは明日のプレゼンテーションの仕上げをしていました。事務所のスタッフも午前の最終報告は聞きに行くということで、10時過ぎに学校まで一緒に連れて行ってもらいました。

10時15分頃には学校に到着。体調を崩しているこの学校の教務主任もこの日のためにわざわざ出勤してきていました。このあたりからも同期がいかにいい活動をしてきたかがわかります。10時半から開始の予定でしたが、まあ当然予定通りには始まりませんでした。レクレオ後に生徒たちを帰した先生たちが集まるのを待ってから開始。スペイン語の上達ぶりがよくわかるいい発表でした。報告会後はDespedida。



これは生徒の出し物です。イチゴ役が2人に果樹農家、果物売りという取り合わせです。先生が何か言って果物売りが答えるという動きがあり、最後のセリフがずいぶんうけていたのですが理由は不明…。なんて言っていたのでしょう。



Despedidaの司会が途中で先生から副校長に交替したと思っていたら、その先生がダンスの出し物をしました。さすがに上手でした。Despedidaは12時過ぎに終わったので、今日・明日と最終報告に参加するためにわざわざサンティアゴにいらしていた調整員の方と専門家の方の車に乗って事務所に帰ってからいつものレストランで昼食にしました。



結局事務所の窓の取替え工事は昨日はおこなわれなかったようで、今日業者が作業にきました。それも約束の時刻になかなかあらわれず、短期の方がけっこうイライラしながら何度も電話をかけていました。ようやくやってきたのは15時ころ。まずは窓の取り外しからでした。かかった時間はわずか5分ほど。外すとけっこういい見晴らしだなあと思って見ていました。



廊下側の窓を外した時に、けっこう恐怖の光景…。写真ではわかりづらいのですが大量の蟻と卵…。作業にきていた業者の人は身体をかなりの数の蟻が這っていても気にせず仕事を続けていましたが、日本人的にはあまり気持ちのいい光景ではありませんでした。いや、ビックリしました。

窓の取り外しが終わったあとは当然新しい窓の取り付けですが、組み立てたサッシ用の窓枠のサイズが合っていない…。はめ込んでみると両側にかなりのスペースが空いていました。電話で何事か相談していましたが、まずはとりあえず両側に均等にスペースを開けてその隙間を埋めることにしたようでした。その際に取り付け用の穴を開けていたのですが、斜めに穴を開けていたりしてこれもまたビックリ。それで固定しようとしたのですが両側に均等にスペースを残すというのがどうもうまくなかったようで、また電話をして結局は片側に大きなスペースを残して取り付けていました。このあたりで午後の同期の報告に行かなければいけない時刻になったので、また最後まで作業は見られませんでしたが、工事に立ち会う短期の方を残して事務所をあとにしました。

午後は予定時刻より10分遅れ程度でスタート。ちゃんと予定通りにきている先生たちもいて優秀です。昼にパソコンの画面が映らなくなったという電話をもらっていたのですが、とりあえずプロジェクターで画面を出すことはできていたので一安心でした。土壇場でのマシン・トラブルはかなり焦ったのではないかと思います。何とかなってよかったです。この発表のために同期が用意していたシートの枚数はなんと38枚…。どれくらい時間がかかるかなと思っていたのですが、30分ほどで終了してホッと一安心でした。スペイン語の上達ぶりはよく知っているつもりでしたが、かなりの早口で30分ずっと話し続けられるのにはつくづく感心しました。最後にやはり簡単なDespedidaがありポロシャツをもらっていました。

18時からもう1人の同期の最終報告が予定されていたので、終わってからすぐに次の学校に移動しました。学校に行く前にいったん事務所に寄ったのですが、工事はまだ終わっておらず短期の方はまたも居残りでした。



この学校の同期が夜に報告会を予定していたのは保護者向けの報告会をおこなうからでした。開始予定の18時になってもまだ保護者が学校にぞろぞろとやってきている状態だったので始まったのは18時半近くになってからでした。前任のボランティアも保護者向けに報告をおこなったのですが、関心は高いようで外での立ち見も出るくらい盛況でした。初めに日本についてのクイズをおこなったのですが、まあ結果は散々でした。しかし、かなり盛り上がりました。終盤に突然プロジェクターが消えるというアクシデントはありましたが、無事に最後まで終了。保護者の反応も上々ではなかったかなと思いました。

夜はこれまでお世話になった調整員の方を食事に招待してシーフードのレストランで夕食にしました。いつ、活動を終わりにするかはそれぞれですが、ぼくは明日の最終報告で最後です。一番盛り上がりに欠ける人間が大トリを務めるというのもなんですが、まあ自分のペースで最後の活動をしめたいと思います。